2013年5月4日土曜日

再び rang bzhin gyis med の解釈

 前々回の記事で、rang bzhin gyis med pa の med pa は、stong pa と同じ意味であり、「具格+ med pa」で「〜を欠いている」ないしは、「〜がない」という意味だろう、というようなことを書いた。これはかなり強引な解釈であったかも知れない。と思い直して、もう少し解釈を緩めた方がいいような気がしてきた。(ここは結論を述べるブログではなく、日々の経過を記録する場なので、このようなブレは許していただきたい。)

 rang bzhin gyis med pa に類似した表現として、rang bzhin gyis yod pa を挙げるの実は不適切であった。むしろ、同じ否定的な表現である

  • rang bzhin gyis ma skyes pa
  • rang bzhin gyis ma grub pa

を挙げるべきだろう。これらはいずれも、

  • rang bzhin gyis skyes pa
  • rang bzhin gyis grub pa
という顛倒したあり方を(それゆえ否定対象を)否定したものである。すなわち

  • 自性によって生じたものではない
  • 自性によって成立したものではない
の意味になる。これらも「自性によって、不生なものである」あるいは「自性によって、不成立なものである」というように、ma skyes pa や ma grub pa に対する様態的限定として rang bzhin gyis と言われているわけではない。これと類比的に考えるならば、rang bzhin gyis med pa も

  • 自性によって存在しているものではない
と解釈できることになるし、それでも文脈上不整合は起こらないだろう。チベット語原文はともなく、「自性によって存在するものではない」という述語は、全てのダルマに対して正しく成立するからである。そして、それは実のところ、それは「全てのダルマには自性が無い、すなわち無自性・空である」というのと同じことである。
 整理するならば、

  • rang bzhin med pa「無自性」
  • rang bzhin gyis stong pa「自性に関して空」
  • rang bzhin gyis med pa「自性がない」あるいは「自性によって存在するのではない」
  • rang bzhin gyis yod pa ma yin pa「自性によって存在するものではない」
  • rang gi mtshan nyid kyis grub pa'i rang bzhin med pa「それ自身の特質によって成立している自性がない」

はほぼ同じ内容を表していると考えられる。この場合、rang bzhin gyis medをrang bzhin gyis stong paと同じ意味と考えるにせよ、rang bzhin gyis yod pa ma yin paと同じ意味と考えるにせよ、考えられているあり方は同じであることになる。
 これは日本語で訳すときに問題が生じるのであって、チベット語で考えている分には、そのいずれの意味であるかを決着することなく使用できる可能性を示している。従って、前々回の記事でmed paをstong paと同じ意味であると言い切ったのは、強引すぎる解釈であったと反省している。要するに、チベット語で考える限り、両方の意味を含意していると言う方が適切であるだろうと、今は考えている。

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